Moment of Truth

06/14/2019 7:00AM honolulu

「言っとくけど外で飲んじゃあダメよ」

朝7時。開店したばかりのABCストア。ブルームーン2本とスパムむすび1個にバーコードリーダーを当てながらおばさんが話しかけてきた。なるほど、じゃあカモメにでもなって空飛びながら飲むしかないね、そう笑いながら20ドル札を手渡すと、彼女が驚いたように静止している。どうしたの?と聞いてみると、時差ぼけの日本人観光客だとばかり思っていたらしい。

「間違ってないよ」僕は答える。
「でもサンフランシスコから日本への帰りなんだ、ゆっくりした観光じゃない」

「ハワイにはいつまでいるの?」

「昨日来て、今日トーキョーに帰るよ」

ふうん、といいながらお釣りとレシートを僕に渡す。袋は?と聞かれたのでいらない、と答える。僕は一本目のブルームーンを手にとり、青いリップストップ・ジャンパーの脇に差し込む。もう一本というところ、ブルームーンを持ったおばさんが何やら左手で手招きしている。なんだろう、恐る恐る近づく。

「本当にしたいことっていうのはね」もう一本がジャンパーの隙間へ潜り込む。コツンという瓶の音が響き渡る。
「誰も見てないところでするのよ」

***

ハワイとはいえ、朝7時のビーチは閑散としていた。気怠そうなライフセイバーとサーフィンに勤しむ橙の粒子。砂浜のパラソルはまだ片手で数えられる程度だった。うろうろ人目のつかない場所を探しているとワイキキビーチの端、シェラトンのスモーキング・エリアに辿り着いた。まだ誰もいない、ライフセイバーの位置からもちょうど死角になっている。僕は財布から1ドル札を取り出して、昔ブラウンの上級生に教わった方法で一本目のビールの蓋を外した。まず、綺麗めの1ドル札を選んで、それを丁寧に横半分に折りたたむ。次に、ひたすらそれを縦半分に折り畳んでいく。細長くなった1ドル札を蓋脇に寄せ、さあ、いざ力を加えるとうまいこと蓋が外れる。かつて蔑んでいたパーティー文化の知恵に今まさに救われ、僕は恥も知らずにホワイトエールを流し込む。ああ、不味い。お世辞にも美味いとはいえない。そもそもブルームーンなんて、よっぽどのことがない限り飲まない。好みじゃないんだ、硬く粗雑なオレンジ風味、コリアンダーの無駄なスパイス感。なにをとっても気に入らない、それがブルームーン。アメリカの象徴。 

蓋を指で弾いてフリップしながら水平線をぼんやり眺めていると、ついさっきABCストアのおばさんが言ったことがふと脳裏に浮かんだ。だれもいないところで、あなたが本当にしたいことをするのよ。ビールの耐えられない軽さに嫌気がさしていただけかもしれない、でもその言葉には重みがあった。少なくともそんな風に感じられた。誰も来ないまま一本分の時間が経ち、二本目の蓋を開けながら僕は「なるほどな」と呟く。なるほど、確かにそうかもしれない。本当にしたいことは、だれもいないところで。だれにも知られず、たった一人で。

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02/06/2020 9:00PM New York CITY

「なに飲む?」

白ワインを頼んだ後、教授が僕に尋ねる。その刹那、僕はハワイの海岸からマンハッタンのバーまで引き戻される。まだ視点が定まらない、潮気が抜けていない。ぼんやりとバーテンダー越しの棚を眺めて一番先に目についたのがラガヴーリンだった。「アイラか、いいね」教授が呟く。

バーは木曜の夜にもかかわらず賑わっていた。15近くあるカウンター席は全て埋まり、ある若いカップルは耳元で互いの秘密を囁き合っている。そのすぐ隣、スーツ姿の老人は素知らぬ顔で物想いにふけながら一人マティーニを飲んでいた。グラスを持ち上げるたび、袖元から濃緑のカフスリンクが顔を覗かせる。

「それで―」乾杯の後、教授が僕に尋ねた。

「君は一体どんな人なんだろう?」

それは考えれば考えるほどタフな質問だった。おそらく数年前までの自分だったら、その質問に悩んだりしなかった。自分の存在を可能な限り抽象化・言語化できていたし、伝わりやすいようパッケージ化までされていた。そこにはボンボン・ショコラがあり、型作りの良い箱に内包され、仕上げに丁寧にリボンまで巻かれていたのだ。しかし、あるタイミングで捨ててしまった。それはもちろん、僕のまわりで理解できない事象が起こりすぎたせいだ。木が突然地面に向かって生え始め、空がいつの間にか足元にあった。自分が何者かによって決定的に、かつ不可逆的に損なわれたのがわかる、しかしなにがどう変わってしまったのかまるでわからない。かつて大切にしていたはずのなにか、その影かたちさえも今は思い出すことができない。

会話に沈黙の幕が降りる。バックグラウンドでは流れていた曲の演奏が終わり、スピーカーから乾いた拍手が流れていた――
もちろんそんな音、もう聴こえてすらいなかった。

05/22/2019 3:00PM Montréal

2019年12月、ブラウンを卒業する。2012年8月に入学したので7年半、大学生だったことになる。卒業後もどうせアパートのリースが切れる5月末までプロビデンスに住み続けるだろうから、およそ8年の縁があったと言える。8年、長い時間だ。同期が社会人5年目になるわけだから、まぁよくそんな長い間ずっと大学にいられるな、と思われても仕方がない。

しかし、今日、僕は理解し、そして許容している。自分が抱える『欠陥』を。最近、よく同じ夢を見る。灰色のカーテンみたいな布切れが何もない真っ白な部屋にポンと置かれている。夢の中で僕はそれを拾い上げて、丸めて抱えてみたり頭から被ってみたりする。そこには歓びも哀しみも感情らしきものはなにもない。ただ純粋な疑問、この布は一体なんなんだろう、それだけが空間を満たしている。しばらくすると、僕は突然夢の中から弾き出され、目を覚ます。すごく喉が渇いているのがわかる。眼鏡もかけず台所まで水を飲みに行き、暗闇の中カラカラになった喉を潤わせながら考える――欠陥は自分に抱えられているのか、それとも欠陥こそが自分自身なのか。線引きはますますわからなくなっていった。 

モントリオールは晴れ。学会ということで来たけれど、イベント事に浮き足立ったり不必要に肩入れしたりする性格じゃない。気分が乗らなかった日は適当に切り上げて、外を散歩する。この日はスキップしたくなるような良い陽気で、ビーチ・ボーイズのベスト・アルバムをひたすら聴いていた。チャイナ・タウンで花椒の効いた麻婆豆腐を青島麦酒で流しこんだり、パブに寄って地ビールをタップで飲んだり。のんびりした日だ。セント・ローレンス川沿いを歩くのに疲れて、仕方なくコンベンションホール方面へ向かっていると、そこに現れたのはノートルダム大聖堂だった。ふうん、と思った。申し訳ないけれど、有名物にいちいち興味をそそられているほど人生退屈してはいないんだ。広場で座れそうな場所を見つけて、バッグから本を取り出す。

ブライアン・ウィルソンがキラキラしたファルセットでサーファー・ガールを歌っている。 

暑いな、と思って地面をみると、きれいなシルエットが描かれている。どおりで暑いわけだ、ずっと日差しを背中で浴びていたらしい。そろそろ、戻るか、バッグに本を戻して立ち上がろうとした、その時――地面に写った自分の輪郭がほんの少しだけ『先に』歪んだ。自分が動き出す、ほんの一瞬前に影の縁が揺らいだ気がした。そしてそれこそが答えだった。僕は欠陥によって形取られている。ああ、欠陥に囚われてしまった! もう何も選択することができない!

スーッと下手から奇妙な形の自転車があらわれる。おじさんが「それ」をゆっくり漕いでいる。停まったのは日陰のない、広場で一番暑そうな場所だった。放心状態のまま、その光景を眺めていると、二人組の男女がタッタッタッと駆けてゆく。そして、しばらく話し込んだ後、二人が笑顔でこちら側に戻ってきて… なるほど! 彼はアイス売りのおじさんだったのか! カメラに自然と手が伸びる。フィルムを巻き上がり、シャッターが落ちる。影には決して追いつけないスピードで――

ブライアン・ウィルソンがキラキラしたファルセットでサーファー・ガールを歌っていた。

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01/28/2020 9:00PM Boston

この日、最初の演目はドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』だった。初めてアメリカ大陸に降り立った時、つまり2010年の夏、この曲をiPodで聴いていた。思い返せば随分前から人生の節目である種の『弾み』をつけるのが好きだった。おまじない、げん担ぎともいうかもしれない。特別な瞬間を特別なまま覚えておくための工夫。曲を聴く度、初めてアメリカに来た時の、あの胸の中で星が弾けるような高揚感が喚び起される。だからBSO、ボストン交響楽団が来週この曲を演奏すると聞いた時、躊躇せずチケットを買った。

昨年末、大学院を受けることにしたのは研究者になりたかったからではない。ましてや教授になることが人生の目標でもない。教科書に名前が載るような研究者たちと日々議論したり論文を書いたりしながら『最先端』の研究をしたかったわけでもない。そういったプラクティカルで直線的な『動機』からはもう何も聴こえてこないのだ。そう――ベートーベン交響曲第5番『運命』の動機――あの感情的で断続的な轟きが僕の精神を難聴にした。

BSOのドヴォルザークは、なんと言うか、まあまあだった。要所で心の震えを思い出すことはあった。しかし、それはあくまで追憶にすぎなかった。そして、それは演奏の問題ではなく、僕自身の問題だった。僕は確かに変わってしまったのだ。かつてあれほどまで感動を覚えたものが色褪せ、役目を終えたかのように価値を失っていく、それは大人になった今だって辛いことだ。オーケストラが再編成される間、文字通りずっと哀しみに暮れていた。チューニングが終わったのにも気づかないほどだった。

上手側、舞台奥の白い扉が開かれる。ピアニストが指揮者と共に現れる。長い喝采。そして静寂。二階上手のバルコニーに座っていた僕はちょうどピアニストの正面、ふと気になって表情を覗いてみる。そして後悔する、これまで僕が目にしてきたピアニストのどんな表情よりも、彼は厳しく険しい表情を浮かべていたのだった。まるで死地を潜り抜け、そのままピアノの前に腰掛けたかのような激情。今にもピアノを叩き割らんばかりの迫力で、鍵盤に指が触れて――

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01/28/2020 9:01PM Boston

零れ出たのはピアノが話せるもっとも柔らかい言葉だった。

イェフィム・ブロンフマン。ベートーベン、ピアノ協奏曲第4番。

03/21/2020 7:00AM providence

僕が抱える最大の欠陥は芸術の感動に起因している。かつてあまりに美しいものを生み出してしまった、あまりに美しいものに出会ってしまった。その感動に囚われ、もうこの先一生逃れることができない。真に美しいものを生み出せるのであれば、僕は本当になにを犠牲にしたって構わないのだ。その中で金や名誉ほど安いものはない、外見や内面も次に安い。人とのつながり、思い出や場所、故郷、時間さえも。全てを犠牲にしながら日々研究している。僕が必要としているのはただ2つ、誰にも邪魔されず、生み出すべきものを、生み出されるべきスタンダードで生み出すことのできる環境、そして僕を殴ってでも蹴飛ばしてでもその環境へ向かわせてくれる人々――勿論、彼らも同様に欠陥を抱え、また別の何かに囚われている。しかし、それでも彼らの精神には音楽が根付いている。春色の朗らかで自由な旋律がいつだって流れている。

この3年間、僕はごく個人的に自分の欠陥を理解することに努め、ただひたすらに受け入れてきた。今振り返ってみると、僕にはいかなる選択肢も与えられてこなかった。たとえば、ある時まで自分は大学を4年で卒業することができたのだと本気で考えていたし、卒業後一般企業に就職することも自分が意図的に選択しなかったのだと信じ込んでいた。しかし、それは僕が自身を『たまたま道を踏み外したブラウン生』だと思い込みたかっただけの話で、『踏み外すことしかできない異常者』だと認め、受け入れるだけの心の準備がまだできていなかったからだろう。

その一方、僕にはブラウン最後の3年間、2週間に1度人と話すか話さないか程度まで引きこもり、できる限り情報を遮断しながら研究を続ける、そんな生活を送ることができた。これは決して皆ができるようなことじゃない。また、同期や後輩の友達が社会で活躍するのを横目に学生身分をのうのうと続け、仕事の愚痴を何食わぬ顔で聞き続けるのも中々厳しいことらしい。普通は(何をもって普通なのか今さら見当もつかないけれど)プライドがシュレッダーにかけられ、精神が風船みたく破裂するらしい。幸い、僕にはどちらの災難も降りかからなかった。というのも、僕から『サラリーマンやOLの悩み』までの距離と『北欧生活暮らしの工夫』までの距離はだいたい同じくらいなのだ。新鮮だから聞いていておもしろいし、たまに、なるほどな、と思ったり、そりゃないぜ、と感じる。良くも悪くも自分にはまったく関係ない世界の物語なのだ。

***

論文が採択されたり、いろいろ記事が出たり、大学を卒業して、大学院に合格しても、誰かに褒めてもらいたいなんて考えてもみなかった。どうやら僕は本当に、自分が生み出しているものが美しいかどうか、にしか興味がないらしい。でもようやく最近素敵な論文が書けたんだ。どうしよう、久々にあの場所まで行ってみようかな。みんなもう集まっているだろうか――

ああ!もう待ちきれない!GUINNESSの時間だ!